「題名のない音楽会に2週連続宮川彬良登場」
「ヤマトやった?」
「やらない」
「つまらなかった?」
「そういうことはない」
感想 §
「ちらっと話に出たが『吹奏楽に目覚めるとき』というタイミングは存在するのだろう」
「その意味は何?」
「フルオーケストラに対して、一部の楽器が欠けている未熟な編成が吹奏楽であるとは考えない。むしろ、吹奏楽には吹奏楽の魅力があると考える」
「その心は?」
「そもそも音楽の方法論が違う」
「ゲバゲバ(ピー)」
君は目覚めたか? §
「じゃあ、君は目覚めたのかい?」
「良い吹奏楽を聞いたことがあるか、という意味ならかなり昔から聞いている気がするが、その時はむしろ演奏者の上手さやコンディションに依存するものだと思っていた。しかし、プロの本格的な演奏を耳にするようになると、グッと安定性が上がって、実は吹奏楽そのものが良いものだと分かってきた」
「それが吹奏楽に目覚める瞬間ということだね」
「そうだ。むしろ吹奏楽の方が良いと考えるタイミングがある」
「ひ~」
「ゲバゲバ(ピー)」
パフォーマンスの問題 §
「のだめカンタービレにバイオリンを立てて演奏するパフォーマンスが出てくるけれど、ああいう種類のパフォーマンスが漫画の中では無くリアルに行われているのを見るのも面白いね」
「それでいいの?」
「吹奏楽はアクション、パフォーマンスと縁がある部分がおそらくある」
「たとえば?」
「行進しながら演奏したり、バトントワラーのバックで演奏してたりするケースもあながち無縁とは言えない気がする」
「ゲバゲバ(ピー)」
音の厚みの問題 §
「最近思うのだが、歌謡曲などで1970年代ぐらいの音楽と今時の音楽を比較すると、音の厚みがまるで違う。昔は音の数がずっと少なかったのだよ」
「使用される楽器が増えたということ?」
「おそらく、シンセサイザーで音を出しているだけで、楽器の数は増えていないと推定するのだが、それでも見かけ上の楽器数は増えているのだろうと思う」
「音の印象がずっとリッチになったわけだね」
「……とも言い切れない。結局、打ち込みで音の種類を増やすだけでは単調感が出てしまうからだ」
「えー」
「だからさ。音の種類が少なくても演奏の工夫でいろいろな表情が出てくるとそれはそれで退屈しないわけ」
「つまり、吹奏楽団にはXXがいないからどうしても足りないものがある、という意見は違うと思うわけ?」
「吹奏楽団もそうだが、他の編成もそうだ。編成の規模が小さくなっていけば行くほど、楽器の種類が制約されていけば行くほど、別の魅力が出てくると思うべきだろうな」
「ならば、小さくなればいいわけ?」
「そうとも言いきれない。規模が小さくなると人に依存する部分が大きくなり、上手い下手が露骨に見えてしまう」
「楽器の種類が多ければ顕在化しにくいわけだね」
「そういう意味で、音の種類を増やす昨今の風潮には、誤魔化しという要素が含まれていないとも言いきれない」
「ひ~」
「しかし、誤魔化した方が良い要素も無いとは言い切れない」
「ゲバゲバ(ピー)」
ゲバゲバ §
「さっきから入っているゲバゲバ(ピー)ってなに?」
「ゲバゲバ90分を今日は演奏したので」
「ヤマトじゃないのに」
「いいじゃないか。ゲバゲバだって。子供の頃は好きだったし」
「ゲバゲバ(ピー)」
ゲバゲバ2 §
「ヤマトじゃないのに」
「でも、"THE HIT PARADE~Hiroshi Miyagawa & Family"なんてCDを持ってくるとヤマトもゲバゲバも入っているから、今となっては十分ヤマト関連」
「ゲバゲバ(ピー)」